「手取り10万円台 家賃補助なし 独身女性」という立場

自分がコロナ自粛を経て変化したこと、、、

「お金について考えるようになった。」

これに尽きる。

 

以前は、

少し臨時収入が入ればキャーっと歓喜し思いがけない出費をする、

クレカの支払いが緊迫すると境遇を悲観し落ち込む、

自分の全財産を聞かれても、月々の出費を聞かれても答えられない始末だった。

 

そんな中のコロナ自粛である。

1カ月半ほどの休暇になり、仕事は激減。ボーナスもない。

給料が支払われているだけでも幸運と思え。といわれる状況。

「・・・・・・やばい。」

30代は近付くし、貯金もないし焦る。

 

――ということで、

手取り10万円台×家賃補助なし(都内一人暮らし)の私は思案した。

ひとまず貯金50万円あったら少しは安心して生きられる気がする。

貯金って必要?安心って何?みたいな心の声とも戦いながら、

仕事を辞めたくなったり、何かを始めるとかどこかに行きたいとか、

自分の急な欲求に対応できる余裕を持ちたい為の貯金。

老後とか、そんな広い目線ではない…

 

50万円はほかの人からしたらきっと低いんだと思う。

高くしすぎるとね、目標の前に三日坊主根性が出てしまうから。

 

整理していくと私には20万円くらいの貯金があった。

よく認識せずに過ごしていたよね。

とてもありがたい。

月々1万5千円くらいずつ貯金にまわす。

でも先が長い。

何かいい方法があったら教えてほしい…。

 

ドラマ遍歴

保育園に通っていた頃の特技は月曜日から金曜日までの夜のドラマの題名をずらーっと諳んじられることだった。この機会に今までのめりこんだテレビドラマを国内・海外問わずにサクッと時代別に列挙してみたいと思う。

 

高校生までの実家時代で夢中になったものは「フルハウス」「金八先生」「アンティーク~西洋骨董洋菓子店~」「ランチの女王」「木更津キャッツアイ」「流星の絆」「天才柳沢教授の生活」「時効警察」「最後から2番目の恋」「アグリーベティ」「glee」。王道ばかり。少し渋いのも入っているけど。

大学時代は決まった時間に家にいるということは無く、ドラマは大好きなゲオで借りてくるものになった。この時繰り返し見ていたのは「ビックバンセオリー」そしてまたもや「glee」。大学の時、ドラマを繰り返し見るタイミングは失恋後の引き籠り期くらいで、人生の中でいちばんドラマを見ていなかった時代かもしれない。

社会人になってからはテレビは持たない生活だけれど、サブスクや見逃し配信がある。この栄光の時代に産んでくれた母に感謝。その恩恵で、ドラマを見る数がまたもUP。はまったのは「それゆけゴールドバーグ家」「私はラブリーガール」「おっさんずラブ」「初めて恋をした日に読む話」「今日から俺は」「神の舌を持つ男」「GOT」「NYガールズダイアリー」「キャッスル」「生田家の朝」「カルテット」「グランメゾン」「俺の話は長い」「ホワイトカラー」「セックス・エデュケーション」「このサイテーな世界の終わり」「フィールグッド」。総じて明るめのが好きだね。

今回は備忘録代わりにざっと書き出してみたけれども、きっと忘れていて「あーこれ書き忘れた!」ってドラマがあるんだろうな。まあよしとしよう。

 

私のドラマ好きが、育った家庭環境に起因するのは間違いないだろう。父が深夜に帰ってくるような仕事だったために基本夜型一家で、食事中もテレビがついているようなテレビ中心型家族だった。木曜日の夜9時には、おばあちゃんの部屋のテレビの前に行って金八先生渡鬼をおばあちゃんと並んで観るのが楽しみだったし、「内P」や「ぷっすま」みたいな深夜のバラエティー番組もお母さんとお兄ちゃんと大笑いしながら見ていた。

 

映画も好きだけれど、作業用BGMの感覚で繰り返し見ることのできるドラマは格別だ。

 

次回は、最近はまった海外ドラマあたりについて話したい。

 

つらつらと初めて

ブログというものを唐突に始めてみる。

 

実際は、唐突ではないのだけれど。

情報のアウトプットが溢れかえるこんな今の中で、私は本音を隠さずつらつら書いたものを現実社会の知り合いに見られることに怯えを感じる。ネタとか軽い感じの発信ならできるが、書き物はハードルが高い。面白くなくてはならないという強迫観念に駆られるのだ。これは自身の隠れたプライドの高さなのやも。(この書き物を知り合いに披露できることになったら、浅はかな自意識とお別れできたってことになるんだろうから、そんな日が待ち遠しい。)

しかしながら、アウトプットしなくては大人になれないぞ!といった気分に無性に駆られる時がある。物覚えがあまり良くない私は、心に残った作品に出会っても、1年後にはストーリーを要約して話すことができない。これは良くない。きっと知識の定着に必要なアウトプットが足りないのだ。

というような経緯があり、ブログという「つらつら系アウトプット」を始めるに至った訳だ。

補足でもうひとつの理由も。

この歳になると(20代後半)になると、友達に自分の話だけをひたすらするというのは、とてつもない面白さが伴わない限りタブーである。自分の日々抱える感情や思考をポイ捨てするしかない現状を、人様にご迷惑をかけずに自己処理したいというのがもうひとつの理由。自分勝手でいいじゃないか、ブログだもの。という訳。

 

このブログを書いていけば、教養人になれて自意識からも解放されて自身の内面とも向き合える。はずなのだ。たぶん。きっと。おそらく。

まあ、3日坊主という言葉があるのは私の為とも思えるような飽き性でもあるので、書きたいときに書くんでいいのよ、という自分に甘いスタイルで書いていこうと思う。きっと文体とかもその都度ころころ変わっていくであろう。

まあいいよね、ブログだもの。